ここでは布施英利『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』(海鳴社)を紹介しています。
布施英利氏の『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』は、解剖学者であり、『胎児の世界』の著者である三木成夫氏の世界・ライフワークを紹介している一冊です。
三木成夫氏は、生物学・形態学・比較解剖学などについて考察している解剖学者ですが、『内臓とこころ』『生命とリズム』(河出文庫)といった著作を読むと、人間の心や体に対する深い洞察力が感じられます。
また、三木成夫氏は腸管や内臓が司る感情と、声や表情との関係性についても言及しており、心という不可解な存在の起源がどこにあるのか、ということについても考えさせられます。
しかし三木成夫氏は「生命の形態」についての研究を完成させないまま、1987年、60代の若さで他界してしまいました。
そのような事情により三木成夫氏が構想していたライフワークは未完成となっていますが、解剖学者であり美術批評家でもある布施英利氏は、本書『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』を、「「ライフワークが未完成に終わった三木成夫」の世界ではなくて、いっけん未完成に見えるが、実は「世界の本質を捉えていた三木成夫」の世界を描くことが目的」だとしています。
三木成夫氏の世界観の特徴は、人体を「植物性器官」と「動物性器官」に分類し、腸をはじめとした内臓系に植物の性質を、脳を中心とした体壁系に動物の性質を読み取っていることです。
そのことについて、『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』のなかで布施英利氏は、「三木の人間観、生命観、世界観、宇宙観にとって、人体における植物性器官の重要性を唱えることが、三木の生命哲学と合致している」と述べています。
さらに、『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』において、以下のように書かれています。
(略)三木はヒトの体を大きく二つに分けて見ていた。「植物性器官」と「動物性器官」である。まずは、この「植物/動物」という分け方がどういうものなのか、それを説明することから始めよう。
生物の世界には、動物や植物がいるが、ここでいう「植物性器官」や「動物性器官」というのは、樹木や草、鳥や魚といった動物のことではない。あくまで人間(=人体)についての話だ。人体を大きく分けると、まず「植物性器官」と「動物性器官」に分類できる。植物性器官とは「内臓」など、栄養やエネルギーを補給して生きる力とする働きをする体の部分。そして、動物的器官というのは、その体を、たとえば餌に向かって動かし、またそのために「世界を知覚する」、その目や耳や脳などをいう。(布施英利『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』p33)
(略)生の営みの根源は、栄養や生殖という「植物的」なものであり、餌をとる、異性に近づくという知覚や運動(=動物的)といったことは、従属的なことなのだ。生命の本質は、人体の基本は、「植物的身体」なのだ。(布施英利『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』p35)
さらに三木成夫氏は人体に宿る「生命記憶」についても言及しています。この生命記憶はヒトのからだに刻まれている5億年の生命進化の記憶や、母なる海、そして宇宙とも関係が深い生命のリズムというものにも関わってきます。
このことに関して、布施氏は三木成夫氏の世界を一つの言葉で語るのならば、「生命記憶」がふさわしいとしています。つまり、「ヒトのからだには、生命進化の記憶が刻まれている」ということなのです。
四季や昼と夜、潮の干満は、どうして起こるのか? 地球がその軸を傾けて太陽の周りを回り(一年の四季)、太陽に向かって地球が自転し(昼と夜)、月と太陽の重力が海水を引っ張り(潮の干満)、という宇宙があったからだ。夜にも、満月の夜と新月の夜があり、その月明かりの違いは、月と地球と太陽の位置関係による。
そのような天体現象は、いまでは天文学の発達のおかげで、私たちはその仕組みを知ることができる。しかし知性のない(脳のない)、一本の管だけの生き物であっても、それが何億回も繰り返され、体験されれば、その宇宙のリズムは、その体に刻まれるのではないだろうか。それは人間の脳による知性などよりも、はるかに根が深く、強いものであるかもしれない。(布施英利『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』p125)
私たち人間は、動物的なからだ、つまり「意識」の存在があまりに大きくなってしまって、この植物的なからだ、つまり「こころ」があることを、ほとんど忘れてしまっている。
しかし三木は、その植物的なからだ、つまり「こころ」を思い出すことが、私たち人間にとって、何より大切なことだと考える。何しろ、それは宇宙のリズムを垣間見ることもできる能力なのだ。それこそ、生命としての人間にとって、大切なことなのだ。
私たちのからだには、いまでも内臓がある。植物的なからだがある。それが生命を支えている。自分のからだの、このお腹に、一つの小さな宇宙が閉じ込められているのだ。それを見つめなければいけない。それが、三木成夫が伝えようとした世界の本質なのだ。(布施英利『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』p130~131)
本書『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』は、三木成夫氏の世界観を存分に知ることが出来るのと同時に、私たち現代人が忘れがちになってしまっている「生命」そのものや、「生命記憶」というものについて、そしてわたしたちのからだはどこからやって来たのかということについての想いを巡らすことが出来る一冊だといえます。
1 三木成夫とは?(奇妙な授業ー大学に入学し三木成夫と出会った/日本の解剖学における三木成夫の先人たち/ライフワークは未完だったのか)/2 人体の中の「動物」(運動系(骨と筋肉)/神経系(脳と神経)/感覚系(目、耳、皮膚))/3 「こころ」はどこにあるのか?/4 人体の中の「植物」(吸収系(胃腸と肺)/循環系(心臓と血管)/排出系(秘尿・生殖器))/5 三木成夫の人間観(「胎児」-個体発生と系統発生/「3歳児」-指差し、呼称音、直立、言葉/「生命記憶」-ヒトの体には五億年の記憶がある)