ここでは妊婦と腸内フローラ・腸内細菌の関係性について述べています。
お腹のなかに赤ちゃんがいる妊婦の方の腸内環境は、出産後の乳幼児の健康と深く関係してきます。そのため、妊婦の方が腸内細菌の集まりである腸内フローラの重要性について考えることは、子どもの健康を維持していくうえで、非常に大切なことだと言えます。
たとえば『腸科学 健康な人生を支える細菌の育て方』(ジャスティン・ソネンバーグ、エリカ・ソネンバーグ 著 早川書房)では、胎児の腸内フローラ(腸内マイクロバイオータ)の形成について、以下のように書かれています。
産道を降りてくる胎児は、まず母親の膣と肛門にいる細菌に出会う。母親の膣にはラクトバチルス(Lactobacillus)属の細菌(乳酸菌の一種)が多量にふくまれることが多い。この種の細菌は酸素に耐えられ(嫌気性ではなく)、経膣分娩で生まれた赤ちゃんの腸内マイクロバイオータに一般に見られる。微生物のいる産道を通ったあと、たいてい頭から下りてくる胎児は、生まれるときに母親の大腸の下の方を圧迫する。このために、胎児は顔全体が母親のマイクロバイオータまみれになる。不衛生に思えるかもしれないが、微生物の世界にはじめて遭遇するのが母親直伝の細菌であるというのも進化上の偶然ではないだろう。(ジャスティン・ソネンバーグ,エリカ・ソネンバーグ『腸科学 健康な人生を支える細菌の育て方』 鍛原多惠子訳 p54)
母親は子供の友人や配偶者を選ぶことはできないかもしれないが、その子と長期にわたって共存する細菌については大きな決定権をもつのだ。母親の便にふくまれる細菌は明らかにヒトを繁殖期まで育て上げたものだから、これらの「検査済み」の腸内微生物に最初に出会うのは理にかなっている。新生児のマイクロバイオータは、他の女性より自分の母親の膣内のマイクロバイオータに似通っている。つまり、母親は自分の遺伝子の半分のみならず、自身のマイクロバイオータも子に受け継がせるようだ。(ジャスティン・ソネンバーグ,エリカ・ソネンバーグ『腸科学 健康な人生を支える細菌の育て方』 鍛原多惠子訳 p54)
また、『失われてゆく、我々の内なる細菌』(マーティン・J・ブレイザー著 山本太郎訳 みすず書房)においても、以下のように書かれています。
生まれ落ちた新生児は、乳酸桿菌で満ち溢れた自分の口を本能的に母親の乳首にもっていく。こうして乳酸桿菌は初乳とともに新生児に受け渡される。このやり取りはこれ以上ないほどに完璧である。乳酸桿菌やその他の乳酸菌系細菌は、母乳中の主要な糖分であるラクトース(乳糖)を分解してエネルギーを作る。新生児の最初の栄養は初乳からもたらされる。初乳は防御抗体も含んでいる。こうした一連の過程によって、新生児の腸管に棲む最初の細菌にミルクを消化できる種が含まれていることが担保される。またそうした細菌は、競合相手でより危険な細菌を抑制する独自の抗生物質を備えている。妊娠期に母親の膣内で増殖する乳酸桿菌は、新生児の消化管の初期構成細菌となり、それに続く細菌群の基礎となる。新生児はこうして、新たな命を始めるために必要なすべてのものを得るのである。
(マーティン・J・ブレイザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』p105)
出産後数日から分泌される母乳は新生児に大きな利益をもたらす。その母乳には、新生児には消化できないオリゴ糖が含まれている。なぜ母乳は、栄養豊富だが新生児が直接利用できない栄養をを含んでいるのだろうか。理由は微生物にある。オリゴ糖は、ビフィドバクテリウム・インファンティス(インファンティス菌)と呼ばれる細菌によって消化され、エネルギー源として利用される。インファンティス菌は、健康な新生児に見られるもうひとつの創始細菌である。母乳には、優遇するべき細菌を選択するという性質がある。おかげでその細菌は、競合する細菌より優位なスタートを切ることができる。母乳は、母親の老廃物であり、新生児に毒性を示す物質である尿素も含む。ここでも、尿素を窒素源として提供することによって、新生児の生存に利益をもたらす細菌が選択される。細菌と新生児が窒素を取り合わないためのひとつの仕組みである。自然は、なんと賢いことか。新生児に利益をもたらす細菌の成長を促すために、母親の老廃物を使うのである。
(マーティン・J・ブレイザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』p105~106)
新生児は細菌に満ち溢れた世界に生まれてくるが、新生児に常在する細菌は偶然の産物ではない。長期間にわたる進化のなかで、自然は常に役立つものを選択してきた。選択された細菌は、新生児が発達するために必要な代謝機能を提供する。それは新生児の腸管細胞に栄養を与え、悪玉細菌を追い出す働きをする。
(マーティン・J・ブレイザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』p105~106)
このように出産という出来事は、新生児の腸内フローラの形成と健康に深く関わっているのです。
しかし子どもを帝王切開で産んだ場合は、腸内フローラの多様性が経膣分娩よりも乏しいとされています。つまり、新生児の初期の腸内フローラに違いが出てしまうのです。
このことに関して、前出の『腸科学 健康な人生を支える細菌の育て方』(ジャスティン・ソネンバーグ、エリカ・ソネンバーグ 著)では以下のように書かれています。
帝王切開で生まれた子の細菌とのはじめての遭遇は、これとはかなり異なっている。細菌との初の出会いは、自然の意図とは異なると思われる皮膚経由になるのだ。経膣分娩では、新生児は自分の母親特有の微生物に出会うが、帝王切開で生まれた子は母親の皮膚特有の微生物にのみ出くわすわけではない。これらの子の体内に最初に棲みつく細菌群は、自然分娩で生まれる子と同じ経緯で自分の母親から「継承されたもの」というわけではないのだ。科学者はその理由についてはまだ答えをもっていない。(ジャスティン・ソネンバーグ,エリカ・ソネンバーグ『腸科学 健康な人生を支える細菌の育て方』 鍛原多惠子訳 p54~55)
病院内にあるさまざまな物の表面、あるいは医師や看護師の皮膚マイクロバイオータにもさらされるために、母親由来の細菌との接触が少ないのかもしれない。経膣分娩で生まれた子と比較して、帝王切開で生まれた子のマイクロバイオータにはプロテオバクテリア(Proteobacteria)門(きわめて多くの病原性細菌がこの門に属する)の細菌が多く、ビフィドバクテリウム(Bifidobacterium)属の細菌(乳酸菌の一種。いわゆるビフィズス菌)が少ない。(ジャスティン・ソネンバーグ,エリカ・ソネンバーグ『腸科学 健康な人生を支える細菌の育て方』 鍛原多惠子訳 p55)
最近では、帝王切開で生まれた人が肥満からアレルギー、セリアック病(既出のグルテン不耐症の別称)、虫歯にかかりやすいという研究結果が多く、経膣分娩で得られる細菌を体内に取りこめなかった人びとには残念な話だ。帝王切開が行なわれるのは、多くの場合、健康な赤ちゃんを取りあげ、母親の健康を損ねないためにどうしてもそれが必要とされるためだ。とはいえ、出産法がマイクロバイオータの形成に果たす役割が判明しているのだから、赤ちゃんと細菌のはじめての出会いがその子にとって最善となるような医療体制を考慮すべきだろう。(ジャスティン・ソネンバーグ,エリカ・ソネンバーグ『腸科学 健康な人生を支える細菌の育て方』 鍛原多惠子訳 p55)
もちろん、帝王切開での出産がやむを得ない場合もありますが、帝王切開で子どもを出産した場合は、今後の子どもの健康を鑑み、新生児から腸内フローラ(腸内細菌叢)のことを気づかう必要があるように思われます。
そのために重要なのは母乳で育てることです。なぜなら母乳にはヒトオリゴ糖やラクトフェリンをはじめとして、新生児の腸内フローラを育てるための有効成分が豊富に含まれているからです。
また子どもがある程度成長したあと、腸内フローラのケアや健康への配慮として大切になってくるのは、日頃の食事において乳酸菌や食物繊維を多く摂るにようにし、腸内フローラを改善して、腸内細菌叢を元気にしていくことだと考えられます。